情報屋ロールケーキの書庫

何でも創る情報系クリエイターの知識図書館

SNS世間論

インターネットが急速に発展したのは2013年頃スマホが学生の間で普及し始めた頃からだ。

それまで「パソコンを開いてブラウザでミクシィや2ちゃんねるやTwitterなどのサービスを開く」という手続きを踏んでやっと到達できていたSNSという場所は、スマホの普及とともに格段と近い場所になった。今やSNSは、電話やメールよりも生活に近い場所にある。

 

大半の大人にとってはまだまだインターネットというのは「見るための場所」かもしれない。けれど子供やITに慣れた人たちはすでに「コミュニケーションの場」として完全に成立している。

子供達はゲームですらSNSとして活用したり、LINEでも気軽に友達の友達と繋がっていたりする。大人が想像するよりもありとあらゆる巧妙な手段で遠くの他人と繋がっている。

人と会話するためだけならば、TwitterでもLINEでもDiscordでも、電話でも直接会って話すでもVRChat上で話すでも、もうどれも何一つ変わらなほどに円滑なコミュニケーションができる。一番楽にコミュニケーションを取るために、その中のどれを選ぶかという問題でしかない。直接会うよりもSNSの方が楽という人はたくさんいる。

 

現実の会話は、コミュニケーション方法として一番距離が近く、表情や仕草でも伝わることがあるなどと実は難易度が高くて、むしろSNSではじっくり考えた文字だけでコミュニケーションができる。それがSNSのメリットだ。「文字では伝わらないことがある」とかいう人もいるが、それなら通話でもいいしビデオ通話でもいい。SNSで何か伝わらないものがあるとしたら、それは知識の問題だ。おじさん達は直接会って話すのは慣れていたとしても、文字でコミュニケーションをしたり通話をするためのアプリの選び方やSNSマナーなど勉強不足で、そのせいで彼らは不自由を感じる。

 

SNSで「マナーが悪いな」と感じる人は若者より中年層の方が目立つ。

若者は社会を知らないが、SNSを知っている。逆に中年層は社会を知っているが、SNSを知らない。

 

世の中を知ったつもりになっていても、その常識はSNS上では半分しか通用しない。話がうまいつもりでも、その技術は文章では役に立たない。これが中年SNSユーザー達の抱える問題点だ。

若者は中年層よりもよっぽど多くの人、それも奇人変人のたくさんいる世界でのコミュニケーションに慣れている。コミュ力が高いのは若者に多かったりするし、若者が草食と言われたりガツガツ積極的に関わろうとしないのは実はSNSのせいなのかもしれない。

 

SNSの距離感

SNSの距離感はサービスごとに違う。また同じサービス内でも、ユーザーのフォロワー数や、その人の感覚で変わってくる。

LINEやDiscordなどの狭い空間では基本的には「友達」や「クラスメイト」「同僚」くらいの距離感になり、TwitterやInstagramなどはその人のフォロワー数に応じて可変する。Youtubeやブログなどは「有名人とファン」の関係になる。

その距離感がわからずに、どんなに遠い人でもまるで友達や仕事の後輩のように気軽に接してくる人が非常に多い。

 

大抵の中年層はブログやニュース記事やYoutubeを見ながら「テレビとおじさん」の関係でインターネットライフを過ごしていて、この人たちはそもそも視界に入らないので全く邪魔にはならない存在なのだが、コメントし始めると「ファン」や「クレーマー」になる。このクレーマーがSNSで最も邪魔な存在だ。それとADHDなどの距離感がわかってない人も。

 

このクレーマー達はブログやニュース記事やYoutubeに限らず、いろいろなところでクレーマーをやる。TwitterやLINEでもそんなポジションの邪魔な人がいる。

ブログやYoutubeなどをやっている人であれば、「まあこういうおじさんいるよね」で済む話だが、仲間内でLINEやTwitterをやってる人にとってはいい迷惑だ。

 

まあLINEなら裏グループを作るなどして距離を置くことができるが、問題はTwitterなどの距離感が可変なSNSの方で、仲間内のコミュニケーションをしているときに伝えたい対象以外の場所からおじさんがやってきて「FF外から失礼」したりする。本当に失礼だ。

 

Twitterやインスタグラムで投稿するときの距離感というのは、基本的には狭い空間での会話だ。自分のフォロワーに向けて、有限の人数に対して発言する。それがうっかりRTなどを経て全く伝える気のない面白くもファンでもないつまらないおじさん達へと伝わってしまう。「バイト中に話をしてたら後から監視カメラでその内容を聞かれた」ような気分だ。

それは全く仕方のないことだし、その可能性があることもわかってみんなツイートをしているが、要は関係ないおじさんはリプやDMをするなという話だ。若者が酒場でわいわい会話してるところに横から混じって酒臭いおっさんが口を出すのはいい迷惑なのだ。

 

そんな感じでSNSというのは基本は「仲間内でのコミュニケーション」の場所だ。おじさんはよく「SNSは全世界の人が見る可能性がある」なんて言うけれど、そんな大層なものじゃない。本来は狭い場所であり、ちょっとしたオンライングループとしての会話場所だ。

 

たかが凡人のツイートを全世界の人が見るだなんてそんな考え方は傲慢だ。むしろ若者は全世界から友達を探すために、友達を増やすためにSNSをやっている。それこそ炎上などでうっかり広まってしまうのはただの事故だ。

放送事故を起こさない努力はするが、基本的に多くの人に見てもらえる可能性のあるテレビのようなもので、視聴率を上げるために努力をしているのだ。視聴率が低いうちはただの身内ラジオのような感覚でしかない。

 

SNSのカースト

TwitterやInstagramで最も偉い存在は「社会経験や実績のある人間」ではなく、「フォロワー数の多い人間」だ。数千人フォローしておきながら数十人のフォロワーしかいないような存在は「つまらないゴミ人間」として扱われる。

 

フォロワー数を見ると、その人がフォロワーに対してどのような面白い発言をしてるのかがわかるし、フォロワー数が少なければ面白くない運用をしていることが一目でわかる。

魅力的な人間には年齢関係なく人が集まり、つまらない人間にはどれだけ優れた実績があろうともゴミ人間として扱われる。

 

フォロワー数とはある意味その人の信用度だ。フォロワー数が少ない人は年齢実績関係なく他人に迷惑をかけたりつまらない発言や行動をしたりするし、フォロワー数が多い人は多くの人を笑顔にする芸人や、影響力をもつ社長のような存在になる。

 

つまり、みんながフォロワー数を稼ごうと躍起になっているのは信用力を稼ぐためだ。

信用の指標であるフォロワー数というのは、SNS世間にとって貯金や出世と同じくらい大切なものになっている。

 

中国では「芝麻信用」という仕組みで、金や身分とは別で個人の信用度が数値化される仕組みが導入されている。信用度の高い人ほど快適で自由な行動や生活ができるし出世や政治への関与がしやすくなり、信用度の低い人は電車の料金が高くなったり立ち入れない場所が増えたりもする。これが中国がアメリカに次ぐ経済大国までのし上がった最大の理由であり、インターネット時代では個人の信用度や技術への信頼度が最も役に立つ指標になる。

 

信用度を稼いで、自分の関われる人や自分を認めてくれる人をたくさん作る。それは現実社会でも大切なことであるが、フォロワー数というのはそれを数値化してくれるわかりやすいシステムなのだ。

フォロワーが多い人ほど信用度が高く、少なければつまらないゴミ人間。

 

信用力とは貯金そのものと同等の価値のあるものだ。そもそも金というシステムが、「この人は社会に役立つ仕事をした、だから同じだけの恩恵を受けられるチケットをあげよう」というシステムであり、金イコール信用の指標なのである。

人が金を稼ごうと躍起になっているのと同じように、フォロワー数の持つ影響力を知っている人はフォロワー数を稼ごうと躍起になる。そういう理屈だ。

 

フォロワーを増やす

言うまでもないがフォロワーを増やすためには知名度とコンテンツ力の両方が必要だ。ただ実力があればいいと言うわけではなく、いい商品やいい話を作り、それを売り込む能力が必要だ。商売と同じで、「ただいい商品を作ればみんな良さをわかってくれる」なんて妄想を持つと失敗する。何年待ってもフォロワーが増えない人は、まず自分を売り込むことすらしていないという人ばかりだ。

「自分はフォロワーなどいなくてもいい」なんて逆張りをする人もいるけれど、それではネットで発言する意味が消える。ネットはまず発言する権利は平等に与えられるが、つまらないことを言う奴は誰にも見られないという厳しい世界だ。日本語を上手く喋れない子供や爺さんの戯言のようにわーわー騒いでる人をまともに相手にしてくれる人などいない。

 

要はネットにおける人権なのだ。発言力が低いということは、つまりネットで発言した時に人からそれを聞いてもらえる確率が下がる。ネット上での自分の発言や行動に意味がなくなってしまう。フォロワー数を増やすということは、自分の声を大きくするための努力なのだ。

 

SNSの信用度を現実で役立てる

「SNSでの信用度は貯金と同じような意味を持つ」という話をしたが、ではそれをどうやって貯金と同じように役立てるかはまたひと工夫が必要だ。

貯金ならばどんなものにも変換しやいため、イメージがつきやすい。信用とはあくまで金以前のフワフワしたものでしかない。これをどうやって金や娯楽へ変換するのかという話だ。

 

まず信用度の高い人であれば、仕事の依頼を受けやすい。SNSはポートフォリオのように実績を表す指標になったり、SNS上の友人から直接「うちの会社に来ないか?」なんて話がくることもしばしば。

それと有名人と関わるなども面白い活用法だ。普通の生活ではまず一生関わることのなかったであろう有名人と関わろうと思ったら、SNSでその人と同じくらいフォロワー数を稼いだり、友人の友人繋がりを使えば簡単に関われたりする。憧れの人と通話するなんてことも努力すれば手が届くし、そこから面白い人だと認めてもらえたら友人関係が成立する。

 

仕事で必死に稼いで、ライブに行ったり近い仕事についたり仕事で呼んだりなどと、有名人に関わる方法は金からでもできるが、相手はあくまで人であり面白い人なら気軽に関わってくれる。友人になってしまう方がお金をかけずに近い場所に行けて都合が良い。そんなことができてしまうのがSNSだ。まああくまでコミュ力やフォロワー数を稼ぐ努力をしたらの話だが。

 

またブログやYoutubeなどで情報発信をするためにも、一度どこかで稼いだコミュ力や信用力というのは非常に役に立つ。

Youtubeが流行ればブログも流行るしオンラインサロンを開いても人が集まるし、グッズを売ればよく売れる。ある種様々な方法で「有名人」になることのできるツールとも言える。

 

SNSがなければただの一般人だっただろう人も、SNSで才能を開花させて有名人になったり、見向きもされないマニアックな商品だったであろうモノも、一度SNSでバズれば飛ぶように売れたりする。

決してそこで稼いだ技術や信用力はたとえそのSNSがなくなったとしても、無駄にはならない。ネットで人に関心を持ってもらう能力は一生役に立つセンスになる。

 

たかだか人のもとで働くような仕事ではどれだけ努力しようともただの凡人止まりになる。

言うなればSNSは誰でも平等にコミュニケーションや商才を発揮させて生きやすくするための努力や人間関係が作れる素晴らしいツールだ。

 

SNSを無視して現代を生きていくということは、つまり消費者として労働者として多くの人から見向きもされないような生活をするということだ。というかそもそもSNSがない時代に「テレビに出る」というのが凡人の夢だったと思うが、そのチャンスが万人に平等に与えられている状態だ。また社会では誰もが趣味も話も合わないつまらない人間とのコミュニケーションを強要されるような鬱陶しい時代だが、そんなつまらない人間よりも自分の趣味嗜好を刺激してくれる面白い人間を探すことができるのがSNSだ。

 

SNSを極めれば人生を極めたも同然。そんなふうに人はSNSへと妄想を抱く。